誰しも、自分で変えられないことがある。
でも、絶対に一人ではないし、病気なんかに、
大切な一度きりの人生を乗っ取られて欲しくない。
鈴木奈緒さん(仮名)は、進行性疾患による身体麻痺と高次脳機能障害があります。発病したことがきっかけで、前職は退職せざるを得なくなりました。
今は、母親が営む会社で仕事をしています。そんな彼女に、障害とともに働くことについて語っていただききました。
こんにちは。私は今、母親が営む会社に勤務し、SNSやイベントなど広報の仕事をしています。身体に軽度の麻痺があり、身体障害者手帳3級を取得しています。家族は夫と、猫8匹と犬1匹です。趣味は、サッカー観戦で、いつもはテレビですが、時々、サッカースタジアムに出かけ、車いす席で観戦を楽しんでいます。
私の初めの仕事は、自動車整備士でした。日本ではディーラー会社に勤務したり、ニュージーランドに住んで整備士の仕事をしたり、忙しい日々を送っていました。
ある時、多忙のために体調を崩して入院しました。その際に看護師の仕事に触れて、人の命を支える仕事に魅力を感じました。会社を退職し、27歳から看護学校に入学しました。朝から晩まで学生生活を送り、30歳で国家試験に合格し、看護師として働き始めました。その後は、総合病院のICUや、在宅医療などで働きました。
35歳で結婚を機に茨城県に引っ越し、地元のクリニックに勤務しました。ある日、猛烈な頭痛、首を曲げることさえできないくらいの頭痛が2日ほど続いたので、「これは普通ではないな」と思い、病院に行きました。脳のMRI検査を受けた際に、白質病変と言われる白いぽつぽつの病変が多数ありました。入院して様々な検査を受けた結果、多発性硬化症と診断されました。
退院後は症状が落ち着いていたので、看護職に復帰してクリニックで働いていたのですが、その後、2回再発しました。その後、右半身の麻痺や感覚障害、筋力低下、高次機能障害が残りました。「座ってなら仕事ができます」と主治医に診断書を作成してもらったのですが、「このクリニックには、看護師で、座ってする仕事はありません」と言われ、職場を解雇されました。
多発性硬化症について
ここで私の病気について説明させてください。多発性硬化症(MS)とは、厚生労働省が指定する難病の一つです。正式には、Multiple Sclerosisと言います。空間的・時間的に多発する(Multiple)、硬化(Sclerosis)のことです。通常、脳や脊髄は神経細胞を介して、全身へ必要な情報を正しく伝えています。その脳の情報を伝える電線のようなものを軸索といい、その大切な軸索を守るためにカバーをしているのが、ミエリンというものです。ミエリンが軸索をカバーしているおかげで、私たちの脳は、必要な情報を正確に伝えることができます。
多発性硬化症とは、免疫機構が、そのミエリンを異物、こいつは敵ととみなして、リンパ球がミエリンを攻撃して、破壊してしまう病気です。破壊されたミエリンは、硬い組織として修復されます。なので硬化症と言います。いまだに、何をきっかけに攻撃してしまうのか機序は、明らかになっていません。
この病気になると、情報を伝える大事な軸索をカバーしているミエリンが破壊されるので、破壊された場所によって、いろいろな不具合が起こります。例えば、視神経を破壊されると視力障害、感覚神経を破壊されると、顔や手足の痺れや、温冷感覚が鈍いなどの感覚障害がでます。他にも、手足の筋力低下や運動障害など、それぞれの場所によって症状が変わります。
人によっては、体温が高くなると、脱力や痺れなど神経症状が現れたり、増悪するウートフ現象というものがあります。こうした人たちは、夏はもちろんのこと、冬でもこたつなどの暖房器具によって体温が上がるので、温度調整が大変になります。
MS患者の約半数に高次機能障害、例えば強い疲労感、集中力や記憶力、理解力、注意力の低下などの症状が表れます。疲労については、普通の人の4倍とも言われています。
多発性硬化症の経過というのは、症状が徐々に悪化する人もいれば、新しい症状が出てくる(再発)、症状がおさまる(寛解)を繰り返す人もいて、経過も人によって異なります。
患者数は年々増加傾向で、日本で約1万9千人。10万人に約15人くらいと言われています。
発症年代は、20~30歳代が多く、女性は男性より約3倍だそうです。自分の経験から、特に伝えたいのは、何かしら体に気になる症状、いつもと違うと思うことがあれば、すぐに脳神経内科を受診してほしいということです。
復職できなかった
仕事の話に戻ります。私はクリニックで看護師として働いていた時に、再発しました。その時に、症状が悪化しました。右足が筋力低下を起こし、常に膝折れをしている状態になり、すごく歩きにくくなりました。主治医からは「座ってできる仕事は可能」と診断書を書いてもらったのですが、クリニックは解雇されてしまいました。
たしかに、看護師なので、患者さんを守ることが第一です。例えば、患者さんが転倒しそうになった時に私が支えられなくて、二人とも転倒するということはあり得ない。安全第一というのは理解しています。でも、座ってできる採血とか問診など、色々な働く方法はあったのではないかと思います。
けれども、いまだに、こういう企業、つまり健常のレベルを求めるがゆえに、障害が出た時に受け入れられない職場が、ほとんどなのだなと思います。
話し合いをしてほしい
私は看護師の仕事がとても好きでした。社会人をやめて看護学校に入学してまでなりたかった仕事で、やりがいを感じていました。そんな仕事を辞めざるを得なかったのは、本当に辛かったし、絶望しました。働けないと言われ、社会から見放されたように感じて、どんどん自分に自信がもてなくなりました。
身体の麻痺など、目に見える障害ですらこういう待遇なので、高次脳機能障害のように、目に見えない障害ならなおさら、周囲の人に理解をしてもらうのは難しいと思います。
でも、働くことはお金を稼ぐと言う生きる上でも大切ですが、生きがいとしてもとても大切です。私の場合は、病気が治らないことはもう決まっているので、現状の症状について会社と相談し合いながら働いていくことが必要になります。もちろんこちら側も、働くからには精一杯努力をするのは大前提です。障害は、できないことの言い訳にするものではありません。努力してもできないこと、できなくなったことがある、そこをカバーしてほしい、工夫してほしいのです。
治ったら戻ってきては、残酷
障害があり、いろいろなことができなくなる。そういう現状を見て、会社は、「じゃあ、仕事はできないんだ」と見限るのではなく、どうやったら一緒に働けるのか、一緒に考えてもらいたい。
「治ったら戻ってきて」というのは、本当に残酷な話です。私の病気もそうだし、治らない病気や障害はたくさんあります。高次脳機能障害、麻痺、そうした障害は、一定期間のあとに治るようなものではなくて、生涯つきあっていくしかないのです。
もちろん、すぐに解決するものではないかもしれませんが、どんな人でも、その人の強みが必ずあるはずなので、それを一緒に探してみてほしい。どういう支援があれば無理せず働けるのか、気にせずに休むことができるのか、もっと、一緒に工夫や対策を考えていける土壌ができたらと思います。
特に、高次脳機能障害のような見えない障害は、周囲が理解しにくいものだから、私たち当事者から発信していくことが大切だと思っています。発信することで、社会から理解してもらえる、発信しないとわからないままです。
障害者だけの問題ではない
健常の方の働き方を一律に押し付けるのではなく、その人ごとに合った働き方ができるのが理想です。それは、健常の人にとっても、必ずしも他人事ではないと思います。私のように、原因不明で発病する、または交通事故にあうなど、誰がいつどうなるかは本当にわからないので。
それに、自分が元気だとしても、家族が発病した、親の介護が必要になったなどで、これまで通り全力で仕事ができなくなる人も多いですよね。だからこそ、障害があろうが、なかろうが、フルで働けない場合はどうしたらよいのか、一緒に考えてほしい。
合理的配慮ってなに?
障害者雇用については、合理的配慮という言葉があります。これは、障害当事者から「こういう配慮が必要だ」と伝えなくてはいけません。おかしいと思うことは声をあげなくてはいけないのです。
私はサッカー観戦が趣味です。発病したあとに、好きなチームの試合を、スタジアムに行って観たいと思って、チケットを買いに行きました。私は長い距離は車椅子を使用しているのですが、そのスタジアムは、バリアフリーで有名だし、車いす席がかなりあるので、安心していました。もちろん、たくさんある車いす席の中から、席を選べるのだろうなと思っていました。それなのに、車いすの人は、限られたエリアしかダメだと言われたのです。
なぜ、たくさん車いす席があるのに、自由に車いすの人が入れないのだろうと、運営側に問いあわせをしたのですが、理由は非公開ですと言われました。自分が観たい場所ではないところでの観戦は悲しかった。
その後、運営していたクラブからも謝罪の連絡があり、Jリーグなどと話し合った結果、車いす用の全席を車いすの人が使えるように運営が変わりました。
障害者が声をあげないとこういうこと、何も変わらないのだなと実感しました。障害者と、健常といわれる側、双方が根拠をもって話し合うことが、大事なのだろうなと思います。
働くための工夫や対策を、一緒に話し合えたら
高次脳機能障害との付き合い方
今の職場で工夫をしていることは、「とりあえず人を頼ること、甘えることを恐れない」です。以前は、人に甘えることが本当に苦手でした。自分のことは自分で全部する、そうしないと他の人に迷惑をかけてしまうと思っていました。でも、そう思って何でも自分でと思ってることで、他の人にさらに迷惑をかけてしまうことがあるのだとわかってからは、素直に甘えるようになりました。
今の会社ではさらりと気遣いしてくれる方がいてありがたいです。たぶん麻痺があるので、装具やら杖やらを使っているから、視覚的にわかりやすいのかもしれません。
記憶障害があるので、物の置き場所を固定しています。名前を覚えるのは難しいので諦めました。忘れた場合は、「ごめん、同じこと何回も聞いてるかもやけどさ…」と前置きをして、さらっと聞きます。
脳が疲れやすいので、集中力が切れたら、仕事が途中でも切り上げて休みます。私の場合は、コーヒーを飲んだり、お菓子食べたりして、気分転換をしています。それから、次の日に回せる仕事は次の日に回す、明日できることは明日すると決めて、過多にならないように気を付けています。疲れると眠気がひどいですね。
同時に複数のことに注意が配れないので、焦らずに一つずつ片付けています。一つできたら、次のことをする、並列でなく、直列で仕事をこなしています。どうしても同時進行が必要な時や、手を付けている仕事をいったん保留する時は、何をしないといけないかメモを書いておきます。
書いていても、内容を忘れる時もあり、忘れてることが発覚した場合に、まだ間に合いそうなら必死のパッチでやるしかないですね。それでも無理ならきっぱり諦めています。
どうしようもないことは、仕方ありません。謝ってまたスタートすればいいし、死ななければ大丈夫だと割り切っています。
それから、日によって頭の良さ(?)が異なります。漢字や言葉が全く出てこない、人の話が理解できない、耳で話を聞いてても内容が全く入らないし、全く覚えていない日もあります。反対に、冴えている日もあります。
私が伝えたいこと
誰しも、自分で変えられないことがあります。いろんな症状が出たり、悪化したり、不安な気持ちや悲しい気持ちでいっぱいだと思います。
でも、絶対に一人ではないし、病気なんかに、大切な一度きりの人生を乗っ取られて欲しくないです。自分の中の、一つのアイデンティティーとして、うまく付き合って、大好きだと思うことを、一生懸命楽しみましょう!今という、もう二度と戻らないこの瞬間、瞬間を精一杯楽しんでいきましょう。
困りごと
- 頭痛が続き、受診多発性硬化症(MS)と診断される
激しい頭痛が続き、受診。さまざまな検査を受けたのち、多発性硬化症(MS)と診断される。回復と再発を繰り返す、指定難病だった。
- 再発後、麻痺が残る看護師として復帰できなかった
一度は復帰したものの、再発をしたあと、身体に麻痺が残る。主治医は「座ってできる仕事なら大丈夫」と言ったが、職場が受け入れてくれなかった。
- 高次脳機能障害の症状が出てきた
病状にあわせ、注意、記憶、遂行機能などに症状が出たり、落ち着いたり。日内変動もあり、これまで通りの仕事が難しくなる。
- 症状を理解してもらうのが難しい
麻痺に関しては配慮があるが、見えない障害、特に脳疲労について、周囲の人にわかってもらうのが難しい。
工夫
- 多発性硬化症(MS)について発信する
病気のことを周囲の人に話す。決して他人事ではなく、何か異変があったら、早めに受診するように伝えている。病気について知ってもらいたい。
- 障害者から声をあげていく
車いす用の観戦席がたくさんあるにもかかわらず、チケットが制限されたときは、運営団体に申し出た。障害者から声をあげないと変わらないことがある。
- 人に頼る、甘えることを恐れない
全部自分ですることは、かえって、周囲に迷惑をかけるとわかり、今は「ごめんやけど・・」と、素直に頼るようにした。
脳疲労に気を付ける
こまめに休憩、無理をしない
脳が疲れやすくなったので、業務過多にならないようにする。集中力が切れたら、仕事が途中でも、切り上げて休む。明日できることは、明日に回す。
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