電車の障がい者割引に物申す!署名3万名分を国土交通省に提出!

山口健志さん 〈相馬杜宇(あいばもりたか)〉さん

神奈川県在住 相馬杜宇(あいばもりたか)の名前で劇作家として活動。32歳の時に突然脳出血を発症し左半身麻痺になる。電車の障がい者割引のICカードの利用条件が不可解すぎるとして制度見直しの署名を集め注目される。

電車のICカードでの障がい者割引制度でとんでもないルールを知った山口さん。当事者にまったく寄り添っていない目線に対して、その偏見をなくしていきたいと制度の見直しのための署名3万名分を国土交通省に提出し、従来の障がい者割引に対する制度に一石を投じました。劇作家として独自の目線での高次脳機能障害についてのお話も伺っていきました。

目次

一人でも割引が受けられるように

2023年3月に電車の障がい者割引のカードができたんです。しかしこれがとんでもないものでした。前から障がい者割引はあったんですが、いちいち窓口に行き、「障がい者割引を受けたいんですけど」って言って清算をしなきゃいけなかったんです。めんどくさいしICカードで「ピ」ってやる方が楽なので今まで割引申請をしてこなかったんです。ニュースで「障がい者ICカード」ができると聞いて手続きに行ったら、「介助者同伴じゃないとダメ」だったんです。しかも本人と介助者との同伴の使用履歴がないとだめ。かつ、障がい者一人の場合は移動距離が100km以上ないと割引が適用されないというとんでもないルールだったんです。6月からオンラインで制度の見直しを求める署名を3万名以上集めて国土交通省に提出し、記者会見を開きました。

国土交通省の役人との意見交換という場を開いたんですが、役人を絵にかいたような人達で、すごく形式的で全然会話にならなかったんです。すべてが他人事のように捉えてるんだろうなと思いました。ある政治家の方が参加をしてくれてて、100kmルールの事をつっこんでくれました。国土交通省からは「1952年に旧国鉄が導入した制度が土台になってる」という事だけで、具体的な答えが出なかったので「もう一度開きましょう!」という事をその政治家の方が言ってくれて、後日もう一度やることにはなったんです。障がい者の割引制度のことで鉄道会社が補填してくれる形にならないなら、どこかの予算委員会で予算をつけてもいいという話まで出ていましたね。私としては政府がちゃんと負担をした上で、100kmルールは撤廃して、割引を適用するべきだと思っています。

右脳に出血し左半身の麻痺

2016年12月18日。当時31歳でした。新宿西口の居酒屋で行われた演劇人の忘年会に参加。開始時刻の夕方6時よりも早めについた私は、通された椅子に座り、少しウトウトしてしまったんですね。ふと目が覚めると左半身の感覚がまったくなくなっていました。左手がしびれている感覚は感じました。恥じらいもあって店員さんを呼んで「麻痺が出ています」ということができなかったんです。当時体重が90キロほどあったので、その重さでしびれているのかもしれないし…。でもそのうち椅子からゴロンと倒れ落ちてしまったんです。そんなところに演劇仲間たちがやってきて「どうしたの!?」と起こしてくれたんですが、私は「いま麻痺ってて…」と言って伝えたんですが呂律が回っていなかったので「これはダメだ、救急車を呼ばなきゃ!」となって、救急車で病院に運ばれていったんです。覚えてるんですけど、救急隊員の方が私を担ぎ上げようとして重たすぎて無理だったので、体重は100㎏くらいだと言われたんです。でもサバをよんで80kgですと言ったのを覚えています。なんとか病院に運ばれたはいいんですが、そのまま左半身の麻痺になってしまいました。

原因は血圧が高く右の脳に出血を発症。これまでも健康診断でも血圧が高いと指摘をされていたんですが、当時お金が無かったので無視をしていました。後から思い起こすと元々鼻血が出やすい体質だったんですが、冬場になると鼻血が止まらなくなったりしていました。無視をしてると、案の定脳出血になってしまいました。今は血圧が120/70くらいまで安定していますが、当時の血圧は、上は180くらいまでありました。

運ばれた病院ではCTを撮り、脳出血を確認したら4時間くらい放置されていました。手術をするにも本人の同意と親の同意がないとできないという事で、経過観察の形で点滴はしていたのかもしれませんが、ほぼ何の処置もされずに時間が過ぎていきました。母親が急いで実家のある岩手から東京に新幹線に乗って駆けつけてくれて、同意書にサインをして手術が行われました。緊急を要する場合ではなかったのか?生死に関わるわけではなかったのか?正直わからないんですけどね。手術は頭蓋骨の一部を外し出血を処置をする手術と、後日に腫れが治まって、外した骨をもう一度戻す骨入れ手術の2回行われました。

管理されたリハビリ「もっとやりたいのに!」

この後から2か月ほど、急性期病院に入院しました。リハビリの生活が始まりました。

数字に〇をつけたり、言語聴覚士のリハビリや口を動かすリハビリが始まりました。しかしここでは全然できなかったんです。2か月してだいぶできるようになってきたので、リハビリの病院に移りましょうという事になって、脳疾患系の病院に転院しました。山奥にあり、温泉もあって本当に居心地のいい病院だったのに、転院して1か月も経たないうちに病院が閉院したんです。そしてすごく古い病院に転院することになりました。そこはシャワーしかなくて、ご飯もまずくて不満が多くて仕方なかったんです。血圧を下げるためのダイエット食だったので塩分も7グラムに制限もされていたし、本当においしくなくて、ひもじくて仕方なかったです。

脚のリハビリはベテランの理学療法士さんから教えてもらった、ストレッチをよくしていました。しかし脳出血特有の「クローヌス」という震えが出てきてしまって、なかなか止まらなくて苦労しました。4か月のリハビリを終え、退院した後も結構この震えが止まらなくて困ったことがあります。

入院中は先生からむやみやたらに歩いてはいけない、車いすにすがって移動しなさいと言われていました。本当はすごく歩行練習をしたかったんですが、勝手に歩く練習をするのはやめてと言われリハビリの管理をされていました。

病院って変な施設だなぁ

そんな中、不思議な訓練が2つありました。「送迎訓練」というものがありまして、8階の病室に入院していたんですが、そこからエレベーターに乗って1階のリハビリ室に送迎するって訓練があったんです。それってバカにしすぎなんじゃないないかって思い、看護師さんに話すと「気持ちも分かるけど、もしものことがあるかもしれないし」と言われ、私は「もしもって何?8階押そうとして10階押してしまったとか?」と思わず言ってしまいたい気持ちになりました。

もう一つの不思議な訓練は「服薬訓練」というもの。内容はその名の通り、うまく薬が飲めるかっていう訓練でした。わざわざ訓練と呼ぶほどでもないと思いました。でも服薬訓練の時に一度薬を飲むときにむせたことがあって、そのことを看護師さんから先生に報告されて、すごく面倒な事になったことがありました。なんだかつくづく病院って変な施設だなあと思いましたね。

他の変なことでいうと、看護師さんにちょっと聞きたいことがあって聞くと「先生に確認します」といちいち確認するって、自分で考えて行動したらいいじゃないかって程度のことでもなんでも「先生に確認する」というしね。

他にも患者が転倒するとスタッフがお通夜のようになるんです。「○○さん午前中に転倒したんだって・・・」スゴい神妙な空気になってるのも滑稽に感じました。

病室には「飲食禁止!見つけた場合は即刻退院してもらいます」って書いてあったんです。歩けない患者に何を言ってるんだと思いましたね。まあ脅し文句なんでしょうけど、こんなの無理だろうと思い笑ってしまいましたね。実際私もシュークリームを隠れて食べてましたし、それを看護師にも見つかっていましたけど全然退院にもならなかったですしね。なにより「飲食禁止!」の貼り紙の中、唯一売っていた干し昆布の「浜風」がありました。看護師も「浜風くらいは良いだろう」と思ったのか、黙認されていましたね。今も浜風を見かけると無性に食べたくなります。

回診の際、主治医に「山口さん、お加減如何ですか?」と問われ、身体は元気(歩けないけど)なので「いいです」と答えると「それではリハビリ続けて下さい」と言って去って行ったのを見て、マニュアル人間か?と思いました。他の医者が談笑しているのを見て「サボってんじゃない、こっちは必死にリハビリしてるんだ」とイラッとしたこともありました。

退院当日、やっと退院だ、家に帰れるぞと思った時、小太りの薬剤師が現れて「コレステロールの薬は必ず飲んで下さい!命の薬ですから」と念を押されました。血液検査の結果も正常。このまま行けば問題ないはずなのに、「必ず」という言葉に、「自己管理出来ない人」の烙印を押されているようで悲しくなりました。でも「小太りの薬剤師が言うか?」とも思いましたね。

本当に病院って変な施設だなあと思いました。

自己流で歩いて歩いて早く歩けるようになりました

家に帰ってからは特になんのリハビリもしていないんです。基本的には歩くだけ。

現在は車いすではなく、杖で歩いて移動するようになっています。最初はすごく歩くのが遅くて、信号が途中で変わってしまったり、目の前にあるバス停になかなかたどり着かなかったりしたこともあり、悔しい思いをしたこともありました。1か月ほどたったらだいぶ回復し、かなりのスピードで歩けるようになりましたね。

現在、仕事も在宅勤務で家に籠りがちなのでできるだけ歩くようにしていて、毎日1.6キロの道のりを歩くようにしています。なので自己流で歩くようになりました。めちゃめちゃ歩くリハビリをしたらもっと歩けるようになっていたんじゃないかなと思ってしまいます。でもリハビリは一回40分ほど。もっとたくさんの時間を費やして練習したかったって気持ちがあります。

左手は全然使えないし、せっかく歩けるようになったんだからできるだけ歩きたいなと思って歩いています。正直言って手の回復が遅いので、手の回復は半ば無理だろうと思い放置をしている状態です。

現在は左側半分がまだまだ麻痺が残っていまして、左足には装具を履いています。緑色の装具を選び、つけてるんですが、障害者の装具って黒が多いんです。それがすごく嫌で、そのイメージを払拭したくて派手な色の装具をつけるようにしているんです。

復職するのって大変!

劇作家として活動していたので、やはり文章を書く仕事がしたかったんです。元々はWEBライターとして就職をしたんですが、その会社から雇用形態が変わってしまうのでと解雇されちゃったんです。そこからが大変で、一般のアルバイト求人を見て応募をしたんですが「健常者ではないとだめです。スピードが追いつきません。ライターでは無理です。」と言われて、次々と落とされました。しょうがないから、障害者向けのハローワーク求人を受けようと決めて応募をしたんですが、履歴書を送っても返事が来ない会社がほとんどで、50社受けて返事が来たところはわずか数社でした。ハローワークに求人を出すところは法定雇用率があるから企業はしぶしぶ求人広告を出しているんじゃないか?と疑ってしまうほどの反応でした。本当に最悪だなと思いました。

そんな中の1件に、在宅勤務での募集をしてる会社がありました。応募の人数も多かったんですが、ダメ元で応募をしてみました。すると求人担当の方から電話があり、「現在、当面やってもらえる仕事がないんですが、給料は払うので、在宅勤務として待機をしててもらう形の条件でもいいですか?」と言われました。就職活動を始めて半年くらい経っていたので、なんでもいいから早く決まってほしいなという気持ちもあって、雇用されることになりました。しかしそれ以来4年くらい経ちますが、ずっと「在宅勤務」という名前の「待機」の状況のままで給料をもらっています。途中コロナ禍の時期があった時は、すごく簡単なコードの読み取りみたいな仕事があったんです。その仕事を一気にこなしたので、会社のほうから長期の契約に変わりまして、月曜から金曜の9時から16時半までの時間で在宅勤務をしています。今にして思えば、単純業務だけど役割を与えられてるからありがたいなあと思います。他に障害者雇用で、業務を与えられずに待機をしている人たちが30人以上もいるので、なんだか複雑だなあと思ったこともありますね。障害者雇用って闇が深いなと思いますね。

執筆はすべてスマホで!戯曲賞に次々に応募

発症前は演劇の劇作家として活動をしていました。母親が演劇が好きだったので、その影響で書くことも好きだし劇作家になろうかと思い目指すことにしたのが中学生の時。割と長い作品を書いては上演をしていたんです。現在は演劇はやっていないんですが、戯曲賞には積極的に応募していて、宮沢賢治はうつ病だったというテーマでの作品は、岩手県の戯曲賞で優秀賞をいただきました。他にもコロナ禍の最中には、断絶されて会えない二人の心情を描いた作品も書き、愛知県のAFF戯曲賞の1次審査に通りました。今書いているは、鳥取の障害者当事者の戯曲賞に応募するための作品なんですが、まさに障害者割引をテーマにしたお話を書いています。

脚本の執筆は左手が動かないので、すべてスマホで書いています。パソコンだと片手で打つのですごく大変で時間もかかりました。スマホだと片手で気軽に文字が打てるので、スマホでなんでも書くようにしています。退院した当時は注意障害もあって、文字の打ち間違いもたくさんありました。ずっと作家としてやってきたので、間違いを指摘されると傷つくんですよね。

知り合いに「校正してあげようか」という人がいて、作品を書くときはその人に全部校正をしてもらってから仕上げるようにしています。

他人に優しくない人が多い

高次脳機能障害は感情のコントロールが出来ないと言われています。しかし、今回の署名を通じて当事者に関わるようになり、当事者は他人を大切にする方が多い印象があると思いました。

右半身麻痺の車椅子女性はお菓子が好きで、いつかお菓子食堂を開きたいと思っていらっしゃいました。しかしアレルギーのこともあるし、取りこぼしたくないから、なかなか進んでいないと話していらっしゃいました。私も似たような経験をしていて、ニュース記事が出た影響で、「割引を受けたがる厚かましい障害者」といった心無いアンチコメントを書き込まれたことがありました。署名を立ち上げる前だったので「自分のしてきたことは間違いだったのか?」とかなり落ち込みました。知人は「言いたい奴は言わせておけばいい」と言ってくれました。私もその気持ちはあるのですが、そもそも他者を排除する行為で、自分は非情な人間になりたくない。相手を尊重するとはそういう事だと思います。

細かい事なんですが、私の最寄りのバス停には押しボタン式の横断歩道があります。私は必ずバスが通り過ぎるのを確認して、ボタンを押すようにしていいます。でも他の人はすぐにボタンを押し、素知らぬふりして道路を渡っています。「なぜ冷たいの?バスが赤信号になって待っているのに」と思っていました。同居してる母もバスが通り過ぎるのを待ってボタンを押すと言っていました。

人の事を大切にしない人が多いように思いますね。

偏見をなくしたい!

今後、演劇には携わりたいと思っていますが、従来の演劇は人に合わせていくことが多い現場なので、難しいかなとは思っています。

とはいえ先日の署名活動の中で当事者の関わりが居心地が良かったので、障害者にたいしての偏見をなくす活動をしていきたいなと思っています。例えば「高次脳機能障害になると人格が変わる」と言われていたりすることとか。確かに他人が当事者を見たらそうなのかもしれないですが、なんでそんなひどいことを健常者目線でだけで言われなきゃいけないのか?と思い傷つくんですよね。でも自分は自分だし、なんでそんなことを言われるのかといった偏見をなくしていきたいと思いますね。他にも高次脳機能障害の当事者の会に参加したとき、ちょっとした言い間違いや年月日の間違いをしたまま話出してしまう人がいたんですね。それをいちいち間違ってると正したり、何度も何度も指摘して傷つけたりする人がいたんです。指摘されなくてもそんなことくらいの間違いは些末なことだし、人の生死に関わることでもないのに、いちいち指摘することでもなく、相手の尊厳を傷つけることでもないのでは?と思う事もありましたね。そんなことをなくしていく活動をしていきたいと思っています。

文・徳田博丸

オンライン署名 ·鉄道の障がい者割引、仕組みを見直してください!!日本 · Change.org

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「障害者割引 ひとりで利用はダメ」鉄道運賃の“謎ルール” …当事者たちの声から考える“あるべき姿”とは【news23】 | TBS NEWS DIG (1ページ)

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